茅ヶ崎東教会

茅ヶ崎東教会のプロフィール 
 【今年度の標語】

   神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり

                 

「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」

                 

(エフェソの信徒への手紙4章13節)



私たちの教会のホームページにようこそおいでくださいました。

キリスト教のある大先輩が、このようなことを言っています。

『われわれの知恵で、真理にかない、また堅実な知恵とみなされるもののほんとどすべては、二つの部分からなりたっている。
神を知ることと、われわれ自身を知ることである。』

これは今から約450年ほど前の言葉ですが、今も真理です。
教会は、週の初めの日、日曜日に、神を賛美し聖書に聞き、こころを静かにして祈る礼拝を中心として、神を知り自分自身を知るところです。
そのとききっと、新しい人との出会いが与えられ、交わりも開かれてくるでしょう。
そのようにして、新しい思いをもって、人生を歩みだすことが出来るでしょう。

ホームページをご覧くださると共に、教会に是非お出かけください。
お待ちしています。  
この日、神の祝福が豊かにありますように。           
                    

牧師 五十嵐 喜和

               

【教会プロフィール】


 茅ヶ崎東教会は、日本キリスト教会という教派に属しています。この教派は日本に最初に建てられたプロテスタント教会(横浜海岸教会、1872年・明治5年建設が日本最初のキリスト教会=日本基督公会です)で、改革・長老派教会の信仰の立場と制度に立っています。
 改革教会というのは、16世紀の宗教改革を起こした大きな流れの一つで、神の言葉である聖書によって絶えず改革されて行くことを自分たちの信仰の立場としています。長老教会というのは、牧師と、教会員のうちから選ばれた長老との会議で教会を神の御心にかなったものとして形成していこうとする制度を採っているということです。 
 日本キリスト教会は、日本基督公会、日本基督一致教会、日本基督教会、日本基督教団の時代を経て、1951年春日本基督教団から離脱した39の教会・伝道所が、三つの中会(プレスビテリー)を形成して、同年5月創立大会を開き、旧日本基督教会の信仰告白と憲法規則を継承し、その名称を踏襲して歩み出した教会です。
 全国に136の教会と約13,000人の教会員があり、埼玉県川越市に大会事務所と神学校を持っています。また、国際組織である「改革教会世界共同体」(103カ国、210教団、7500万会員)に正会員として加盟しており、国の内外で神と人とに仕えていこうと努めています。

 
茅ヶ崎東教会は、1945年11月11日に日本基督教団平塚富士見町教会小和田伝道所として、加藤貞恵宅にて開所・発足し、1946年11月23日には平塚富士見町教会から独立し茅ヶ崎小和田伝道教会となりました。
 また、1951年3月の「茅ヶ崎小和田教会」臨時総会では、日本基督教団からの離脱を決議し、同年5月には日本基督教会(現在は日本キリスト教会)茅ヶ崎小和田教会となっております。
 教会発足当時の場所は、今日の浜竹通りに面した家で礼拝を守っていましたが、  1957年9月15日に現在地に移って旧会堂の献堂をした後、住居表示変更によって 所在地名が小和田で なくなったため、1969年に茅ヶ崎東教会と改称しました。
 2015年12月に58年ぶりに会堂全体を新築し、2016年2月には献堂式及び感謝会が行われました。
 



日本キリスト教会 信仰告白

我らが主と崇むる神の独子(ひとりご)イエス・キリストは、真(まこと)の神にして真の人、永遠なる神の経綸に従ひ、人となりて人類の罪のため十字架にかかり、全き犠牲(いけにえ)をささげて贖ひを成就し、復活して永遠の生命(いのち)の保証をあたへ、救いの完うせらるる日まで我らのために執成し給ふ。おほよそ神の選びを受け、この救いの御業(みわざ)を信ずる者は、キリストに在りて義と認められ、功(いさお)なくして罪の赦しを得、神の子とせらる。また父とともに崇められ礼拝せらるる聖霊は、信ずる者を聖化し、御意(みこころ)を行はしむ。この三位一体なる神の恩恵によるにあらざれば、罪に死にたる人、神の国に入る(いる)ことを得ず。新旧約聖書は神の言(ことば)にして、そのうちに語り給ふ聖霊は、主イエス・キリストを顕示し、信仰と生活との誤りなき審判者なり。教会はキリストの体、神に召されたる世々の聖徒の交わりにして、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行ひ、信徒を訓練し、終りの日に備へつつ主の来たり給ふを待ち望む。いにしえの教会は聖書に拠りて左の告白文を作れり。我らもまた使徒的信仰の伝統に従ひ、讃美と感謝とを以てこれを告白す。

日本キリスト教会 使徒信条

我は、天地の創造主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。我は、その独子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は、聖霊によりてみごもられ、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦難(くるしみ)を受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死者のうちより復活し、天にのぼりて全能の父なる神の右に坐し給ふ、かしこより来りて、生ける者と死にたる者とを審き給はん。我は、聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交り、罪の赦し、体の復活、永遠の生命を信ず。アーメン。


日本キリスト教会信仰の告白(口語文)

(200610月第56回大会において採択)
(200710月第57回大会において制定)

 わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、贖いをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのために執り成してくださいます。

 神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、功績なしに罪を赦され、神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。                                  

旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕らかに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。

教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。

古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた、使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。

日本キリスト教会 使徒信条(口語文)

わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン





<牧師プロフィール>

◆日本キリスト教会
   茅ヶ崎東教会牧師
◆元日本キリスト教会神学校講師
◆キリスト教史学会会員

◆著書など


■日本キリスト教会50年史

■「日本基督教会史の諸問題」
■共著
・「近代天皇制とキリスト教」
・「15年戦争期の天皇制とキリスト教」

  
           (新教出版社)
■「日本プロテスタント諸教派史の研究」
■編著「キリストに捕らえられて」
■論文「朝鮮基督教会併合問題」
 (福音と世界1992月4月〜6月


 ■旅立ちの日に(PDF版)  『福音時報』2011年3月号掲載

 ■書評: 岡部一興 著 『山本秀煌とその時代』 (『本のひろば』2013年3月号より)


 ■鼎談:『復刻・日本基督一致教会信仰ノ箇条』 (『本のひろば』2014年9月号より)

 
■講演:『「日本基督公会」という出発』 -今、日本プロテスタンティズムを考える- (日本基督教団富士見町教会2014.7.15)

. ■書評: 蓮見和男、登家勝也、畑祐喜、小池創造、池永倫明 訳  『シュラッター新約聖書講解』 (新教出版社『図書目録』2015より)